下田の生活は、人生はじめての挑戦だった。これまでのあらゆる関係を断ち切って、自分ひとり生きることに立ち向かう戦いだ!。
別荘の管理人のおじさん以外、だれもいない正しく一人ぼっちの世界である。何日も人と話することのない生活は、むしろ自由で快適であった。山の中の別荘は、人と会うこともなく、むしろイノシシに出会うことが多かった。別荘地ではあったが、周りに人が住んでいる気配は少なく、自然豊かで、静かだった。歩いて15分足らずで、海岸に出られ、波打ち際で、何時間も海を見て過ごすことが多かった。楽だった。何のわずらわしいこともない時間だけが存在している。
普段は、殆ど近くの小さなな港の岸壁に行き、日長1日釣り糸を垂れていた。時間がゆっくり過ぎてゆく。何のためらいもなく,怒りも焦燥感もなくただ自然に流れていく日々がありました。
自由気ままに生きる原点3
脳梗塞で入院となった。私にとって初めての入院生活である。何もしないで、ベットに横たわっているだけの生活、楽だった。不思議と寝ても寝てもよく眠れた。
時は4月のはじめ、窓の外は桜が咲き始め、周りの花壇のいろいろの花も咲き綻んで、心も癒される。桜が散ると、周りの木々の芽が一斉に噴き出し、自然の営みの流れに飲み込まれそうな無抵抗な私が横たわっている。
こんな穏やかな、ゆったりした時間があったんだろうか?
私が長い間忘れてしまっていた時の流れでした。
自然の大きなゆったりとした営みの中で、俺はいったい何をしてきたのだろうか? 我に返る一瞬でした!!
よし!義理も、人情も、全部捨てて、「自由になろう!」と決意し、下田に一人旅立ちました。→→「喜寿からの旅立ち」
自由に生きる原点2
元来私は、自由人である。かなり我儘に生きてはきた。今迄会社生活においても、個人の生活においても、我儘をおし通してきた。人には迷惑をかけないつもりではやってきたが、結果的にずいぶん迷惑をかけてきたのだと思う。
たとえば金曜の夕方,直帰にして海外に出かけ、月曜日直行にして夕方帰るくらいの3泊4日の海外旅行は、平気でやったし、勝手に中国に留学と証して、遊びに行ったり、もちろん学校にはちゃんと通い勉強もしたが、家族にもさびしい思いをさせたことだろう!
当たり前のことながら、それなりに仕事もしたし、家族が生活に困らない手立てもしてきた。そんな私だから、同僚、上司から煙たがられ、恨みもかってきたが、部下や、仲間には結構人気があった。
そんな私の勝手気ままな生き方を,恨んでかなぜか役を押し付けられることが多く、会社のOB会の会長、ライオンズクラブ会長と役が重なり、オーバーワークとなって人生はじめての入院となったわけである。
自由に生きるの原点
2019年3月26日アジスタのスポーツジムのお風呂の湯船から出た途端!何が起こったのか両方の足がふらふらして立てないのだ。何が起こったのか理解できないまま、這って更衣室までたどり着いた。
水を飲みしばらく休んでいると、ようやく意識がはっきりしてきて、立てるようになったので、その日は右足が少し不自由であったが何とか歩いて家までたどり着いた。
その当時私は、調布ライオンズクラブの会長職にあり、週末には一泊泊まりの移動例会、ゴルフ会、打ち合わせ等スケジュールが詰まっていて、オーバワークの日々を過ごしていた。
足が少し不自由が続いていたが、妹の旦那がなくなり富山まで葬式に帰り、そしてライオンズのチャリテイゴルフ会をこなして、当時元会社の喜楽会(OB会)の会長もやっており、本部会議に出席後やっと時間が空いたので、4月3日医者に行くと、私の顔を見るなり、即大学病院に行けと言われ、そのまま1カ月の入院となった。脳梗塞の診断だった。一歩間違えば、大変な事になっていたのだった。